まどろみのあめ

目蓋が重い。つぎに頭の前のほうが重い。脳髄のまわりがじんじん痺れて、首のまわりまで重くなる。帰りの電車、ひとつ空いていた座席に埋もれて目を閉じた。18時をまわった頃から眠気がまとわりついていた。特別ひどく頭を使った覚えはないし、なんなら少し余裕があったくらいなのに、珍しい。眠気は放っておくとどんどん下に落ちていく。ゆるやかに喉もとを過ぎ、骨の間をすり抜けながら右と左それぞれの腿に染み渡るように広がっていく。足の裏を満たしてつま先まで行き渡ってしまうと、どうしようもない。どうしようもなく眠い。対抗手段はほとんどない。対抗するつもりもあまりない。寝過ごしてしまわないようにだけは、気をつけないといけないけれど。今日ははやく眠ってしまおう。あたたかい毛布にくるまって。きっと、深く眠れるだろう。

焼け石に2リットル

口が乾く。こまめに水分を取っていても、すぐに唇はかさつき、舌の表面もざらついてくる。2時間で1リットルの水を消費しても大した慰めにはならない。ドライマウス。毎日50ミリずつ服用しているセロクエルの副作用だ。一度主治医にも相談したが、水を飲んだり飴を舐めたりして対処してほしいと言われた。もちろん、それが妥当だろう。セロクエルは私のこころをコントロールするための主力の薬だ。いくつか薬を試してきたなかでもっとも安定して効果を発揮してくれているし、副作用も少ない。軽度のドライマウスの解消と天秤にかけるにはあまりにも重要な存在だ。理解している。セロクエルを責めるつもりはない。だが、乾くものは乾く。結局、今日は2リットルと少しの水を胃に注いだ。こんなにがぶがぶ飲んでいて体に悪くないんだろうかと仕事の頭休めがてら調べたら、2リットルの水はデトックスに良いらしいとか、いやかえってむくんでしまうから良くないとか、そんな話がぱらぱらと出てきた。真偽の程は定かではないが、どちらにせよ飲まないわけにはいかない。良い効果が棚ぼたしますように。

790円の命づな

iPhoneの充電コードが壊れてしまった。6月の頭にAmazonで購入した3本999円の安物。1本目がいつ駄目になったかは忘れたが、2本目は8月の中頃に役目を放棄するようになり、3本目もわりとすぐに機嫌を悪くするようになった。3本目はまだお陀仏していないものの、すっかり気難しくなってしまっている。3日に1回は、夜中の間ずっと挿しておいたというのにちっとも充電されていないiPhoneを寝起きの私に差し出してくる。3ヶ月もったと思えばなかなかに褒められるが、それはそれとして心もとないのも本音なので、昨日、あたらしい充電コードを注文した。1本790円。高いものではないが、そこそこ信頼しているブランドのもの。今朝コンビニで受け取って、早速会社で使ってみた。もちろん具合は良好。今度は半年くらいもってくれたなら嬉しいものだ。

或るひとつの朝

7時少し前に目を覚ました。近頃はだいたい6時57分。空白の3分間、タオルケットのやわらかな起毛に素足を絡め、両腕で緩慢に視界を遮り、夢との境界線を引き直しているうちに7時にかけていたアラームが鳴る。遠く霞み始めた夢の端を手放して、私はのっそり布団を抜け出す。

顔を洗い、髪を梳かし、化粧を済ませ、作り置きのごはんを温めながら弁当を詰め、食事を済ませて、服を着替える。簡単なルーチン。しかし、ひとつのバイタルチェックでもある。鬱エピソードの最中には、顔を洗うために洗面所に向かうことすら困難になることがある。食事を含み、噛んで、飲み込む、そんな単純な動作すらままならなくなったりもする。

朝が何事もなく終わる。それは容易に言い表せない感情を私に齎す。安堵のような、空虚のような、あるいは寂寥のような、胸が埋まらない心地に似ているかもしれない。今日は無事だった。だが果たして明日の私は無事だろうか。不安を一時的忘却に置き去りにした私には、実感が遠過ぎる。

花園はまだ遠い

朝、母に誘われコスモス畑へ赴いた。川沿いに道を歩いていった先にある。道端に野生しているコスモスは皆のびのびと花を広げていたが、目的地のその場所で、背の低いコスモスたちは沈黙していた。ぽつり、ぽつり、と小さな花が咲いていたが、満開には程遠い。見頃はもう少し先だね、と言いながらコスモス畑を後にした。

少し前まで、毎秒、どのようにすれば死ぬことができるのか考えていた。だれにも迷惑をかけず、面倒を残さず、トラウマを植え付けず、できれば苦痛のない方法で死ぬにはいったいどうしたら良いのか。答えがないことを知っていながら、切々と、切々と、祈るようにそればかり思っていた。ここ数日、希死念慮は鳴りを潜めている。

私は知っている。海の凪は永遠ではない。穏やかな波があっという間に恐ろしい牙を剥く。嵐がこころをかき乱し、すべての希望を沈没させる。今は束の間だ。