止まり木

躊躇いなく生きている。生きることに躊躇していない。もしも半年前の私がこの現実を目の当たりにしたなら、いったいどんな顔をしただろう。想像するのは難しいが、想定するには難くない。きっと、醜い顔をしただろう。目も当てられないほど醜く、そして、やさしい貌をしただろう。

おめでとう、私。
貴方は昨日を生き延びた。

双極性障害はその名の通り障害ゆえに完治することはないらしい。穏やかな時期が訪れたならばそれは『寛解』といって、完治ではないものの安定している状態となる。相変わらず一寸先は闇だ。明日、あるいは一分後も、私が今の私でいられる保証はない。砂つぶのような正気をかき抱いて眠る日々がまた訪れるともしれない。

だとしても、今は今だ。明日が訪れる保証など初めからないのだから、そんなものには目を瞑るがいい。

朝日が恐ろしくなかった。軽やかに歌うスマートフォンに朝のあいさつをして、のそのそ布団を抜け出せた。レンジで温めた作り置きの食事を口に運ぶ、右手は岩ほど重くなかったし、空腹は正常に満足した。会社へ向かう道すがら、世界への恐怖にが竦むことはなく、いかに良い仕事を為すか、私はゆるやかに思考した。

今は、生きている。上々だ。

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